谷津山の名前の由来

江戸時代の「東海道分限延絵図」には「八ッ山」とあり、東西に長く続いた山で8つの峰がある「八っ山」と称されていたと思われます。

今の谷津山は南麓に「旧柚木谷津村」があり、山名はこの村名をあてたと考えられています。

谷津山における土地利用分布図(昭和50年代)

昭和50年代の作物分布図
「谷津山を想う」(谷津山再生協議会)より

昔は茶畑の山で、所々にミカン畑とタケノコの畑がある明るい山でした。

今では、お茶やミカンを作らなくなった畑に放置竹林が広がり、うす暗い山になってしまいました。

やつやま友の会では里山に戻す活動をしています。

今は山だけど、昔は”島”だった

[第1図]

先史時代、静岡平野は海中にあり、入江を形成していましたた。その中に有度山・谷津山・八幡山などが島として浮かんでいました。

[第2図]

有史時代に入ると、安倍川は賤機山の麓をすぎ東に流れ、1つは南流して大谷をすぎ海に注ぎ、その支流は谷津山北麓を、沓谷・川合をすぎて麻機沼の水を合流して巴川となり、清水湊に注いでいました。

谷津山は昔は島だった
「谷津山」(山内政三著)より